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【アラベスク】  第17章 来し方の楔



第3節 星に願いを [4]




 布教活動から逃げるのか?
 そんな後ろめたさも無いワケではなかったが、魁流は住み込みで働く事にした。
 施設を抜けた魁流を、教団はそれほど無理に引き戻そうとはしなかった。数回店に教団の人間がやって来たが、魁流が戻るのを拒むと、呆気ないほどあっさりと引き下がった。
 神と繋がるアリガタイ物だとして有り金すべてを壷やら掛け軸やらなどに交換させられていたので、手持ち金はほとんど無い。実家が裕福な医者の家である事は隠していた為、家族の入信も期待されてはいなかった。勝手に身の上を調べ上げられ、親族にまで手を伸ばす悪質な集団もあるようだが、どうやら魁流はその対象にはならなかったようだ。
 金銭的には何の役にも立たず、布教活動に大した成果も出せない信者など、必要でもなかったのかもしれない。二・三の口止めをされたくらいで、生活を妨害される事もなかった。
 新しい生活は、楽ではなかった。言葉の通じない動物を相手にするという事だけでも難しい仕事。加えて魁流には、動物についての専門知識はほとんど無い。店長に進められて専門学校の夜間コースに通いながら仕事をこなした。肉体的にもかなりハードだった。だが、それを言うなら布教活動だって同じ事。学校に通い、知識が身に付くのを実感しながら仕事に汗を流すという生活は、ひたすら家々を訪問するだけの毎日よりかは、ずっと充実したものだった。
 店長は、見ず知らずの魁流を住み込ませるような人の良い性格だ。その人柄が客を引き寄せるのか、(たい)して大きくもない店は、平日休日に関わらずそれなりに忙しい。こんな生活をしていて鈴は喜ぶのだろうか? なんて考え込むような余裕もないままに毎日が過ぎてゆく。
「お前、見た目よりも根性あるんだな」
 店長は感心した。
 クセのある客の応対という条件も、魁流は意外と上手(うま)くこなした。
 魁流は争うのは嫌いだ。だから小さい頃から、会話に口を挟んだり反論したりして相手の機嫌を損ねるような行動は控えてきた。母の言葉にも、先生の言葉にも。
 結果的に、黙って相手の話に相槌を打つ術を身につけていた。聞き上手というワケではないだろうが、話やすい相手ではあったのかもしれない。
 やがて、イケメンの店員が居るという小さな噂も立つようになった。その話を聞きつけてやってきたのが、例のフラワーコーディネーターだった。





「彼女は店でもお得意様だ」
「だから、対応もVIP並か」
「店長に言わせれば、もっとも厄介な客でもある。彼女一人を相手にするには、他の客五人分の時間を費やす事になるらしい」
 慎二は思わず笑った。
「だから、お前が店を留守にする事になったとしても、あの女の相手はお前に任せたいというワケか」
「こちらの店の都合だ。お前につべこべ言われる筋合いは無い」
「もっともだ」
 言って、押さえていた髪を手放す。薄暗闇が支配し始めた辺りに、金糸が悪戯に舞う。
「つまりお前は、念願叶って織笠(おがさ)鈴の望む生活を手に入れたというワケか」
「それが俺の望みだからな」
 そう口にする相手に、だが慎二は口元を歪めた。
「そのワリには、(すさ)んだな」
 瞬間、魁流の表情が歪んだ。睨むような、悔しがるような、なんとも複雑な面持ちで相手を見返す。
「望む生活、望む人生を手に入れたんだろう? 悔いる事もなく、他人に恥を感じる事もない人生だ。ならばなぜ、妹を拒絶する? 胸を張って今の自分を見せてやればいいじゃないか」
「拒絶などはしていない」
「しているだろう?」
 慎二は少し強めに相手を遮る。
「しているはずだ」
 断言する。
「拒絶など、していない」
「ならばなぜ、大迫(おおさこ)美鶴(みつる)を突っぱねた?」
「大迫美鶴?」
「俺とお前が再会した夜の事だ。猫の悪戯ってヤツだな。あの時お前は、俺のツレに声を掛けられたはずだ」
「あぁ」
 思い出す。妹の友達だと言っていた。同じ唐渓生だとも言っていた。
「お前はあの娘から、妹の話を聞かされたはずだ。だがお前は突き放した」
「得体の知れない人間に身元を明かすような事はしないだけだ」
「ならば、彼女の身元を俺にでも尋ねてくれればよかったじゃないか」
「なぜ俺がそこまでしなければならない?」
「妹だぞ」
 慎二は顎をあげる。
「妹が会いたがっていると聞けば、誰でも興味は持つはずだ。本当だろうか? ひょっとしたら会えるのかもしれないと思い、会えるのならばと自分から動いても、別に不思議ではない」
 陽が落ちた。対岸でタンカーが灯りを瞬かせている。周囲に人影は無い。夏やクリスマスの頃は賑わっていた場所も、今は寒さに凍えるのみ。
「だがお前は、そうはしなかった。それどころか、今度は俺だ」
 瞳をゆっくりと瞬かせる。
「妹に居場所が知れたくらいで、今度は俺に突っかかる。ワケがわからない」
「勝手に人の居場所をバラされて、不愉快にならない方がおかしい」
「だが、結果的には妹に会えた。喜ばしい事ではないのか?」
 魁流は無言で睨み返す。
「もっとも、お前が妹を嫌うなり拒絶するなりをしているというのなら、話は別だがな」
「拒絶などは、していない」
「なら俺は、どうしてこんなところに連れてこられた?」
「ここに連れてきたのはお前だろう?」
「話がしたいというから適当な場所に連れてきてやっただけだ」
 タンカーのボーッと低い音が響く。間抜けていて、他人事。
「妹に居場所が知れたくらいで、なぜそれほどまでに腹を立てる? それほどまでに妹が嫌いか?」
「嫌いでは、無い」
 微かに震える唇で答える。その声に、慎二の片眉がピクリと跳ねた。
「ならばちょうど良いタイミングだな」
「え?」
「感動のご対面だ」
 顎をあげ、意味ありげに魁流の背後へ視線を投げる。不思議に思って振り返り、そうして魁流は瞠目した。
「ツバサ」
 振り返る先では、ツバサが直立不動していた。
「お兄ちゃん」
 その後ろには、美鶴に聡に瑠駆真にユンミ、そうして蔦康煕。
「完全に定員オーバーだったわね。しかもデカい男が二人も。ったく、タイヤがパンクでもしたらどうするのよ。ちょっと美鶴、こんなにガキばっかり引き連れてきて、どういうつもり?」
 ブツクサと文句を吐きながらユンミが化粧を直している。だが言われた美鶴は、そんな言葉などほとんど上の空。
 埠頭の明かりを背に立つ涼木魁流の優美に、言葉も出なかった。







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